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「5年間で4回退職」双極症で転職を重ねた僕が15年休職なしで働けるまで

公開日: 2026年10月06日
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「寝なくても元気で、いくらでも行動できた」と思ったら、「突然重しが乗ったように動けなくなる」——。感情の激しい波に振り回され、離転職を繰り返してきた松浦秀俊さん。27歳で判明したのは「双極症(双極性障害・躁うつ病)」という病名でした。

自分を「社会不適合者」と責めていた時期を経て、15年間一度も休職せずに働き続けられるようになった理由とは?

現在は株式会社リヴァで双極症の人に向けたWebメディア「双極はたらく+くらしラボ」編集長を務める松浦さんに、自分らしく働くようになった軌跡を聞きました。

極端に気分の浮き沈みが激しくなる双極症

――松浦さんは27歳の時に双極症(双極性障害・躁うつ病)Ⅱ型と診断されたとのこと。双極症とはどんな病気なのでしょうか?

松浦さん:一言で言うと、気分の浮き沈みが激しくなり、自分でコントロールできないほど気持ちが高まる「躁状態、または比較的症状が軽い軽躁状態」と、激しく落ち込む「うつ状態」を繰り返す病気です。以前は「躁うつ病」と呼ばれていました。

躁状態・軽躁状態のときは、眠らなくても平気になったり、次々とアイデアが浮かんで活動的になったりするのですが、浪費や衝動的な行動につながりがちです。

そして躁状態・軽躁状態の時期が過ぎると、反動でうつ状態に落ち込んでしまう…。意欲や気力が低下し、誰とも連絡を取らず、家に引きこもるなどの症状が現れます。

もちろん、感情の起伏は誰にでもあるものですが、双極症はそれが一定期間続くのも特徴。

医師の基準だと、躁状態は1週間(7日間)以上続き、軽躁状態は4日以上続くものとされているそうです。決して珍しい病気ではなく、約100人に1人が発症すると言われ、誰でもかかる可能性があります。

また双極症にも種類があり、躁状態を1回またはそれ以上の回数体験しているものをI型、抑うつと軽躁をそれぞれ少なくとも1回体験している場合をII型と呼ぶそうです。

双極症はうつ病と誤診されることが多く、診断に繋がるまでに4~10年かかることも少なくありません。最近は病院も双極症の可能性も探るようになり、少しずつ診断までは早くなっているといった話を聞きます。


――松浦さんご自身も最初に症状が出てから診断されるまで数年かかったとか。

松浦さん:振り返ってみると、最初に症状が出たのは大学4年生、21歳の時でした。もともとは起業したかったのですが就職することになり、「本当にこれでいいのか」と悩んでいた時期です。

気持ちが落ち込み、クリニックに行ったところ「うつ病」と診断されました。ただその時は1~2週間で落ち着いたため、通院も薬もやめてしまったんです。

その後、友人から誘われてNPO法人のイベント準備をすることに。それがとても楽しくて、夢中で打ち込みました。毎日の睡眠時間は2~3時間ほど。眠らなくてもまったく疲れず、いろいろなアイデアがわいてくる日々でした。

「数か月前にうつ病と診断されたなんてウソみたいだ。ようやく本来の自分の力を発揮できるようになった」と充実していました。

今考えればそれは軽躁状態だったのですが、当時は双極症という病気があることさえ知りませんでした。自分が病気だという可能性すら考えていなかったのです。

社会不適合者ではないかと悩んだことも…

――それだけパワフルに動いていると、やはり反動が起きてしまうのでしょうか?

松浦さん:そうなんです。ある日突然スイッチが切れたかのように動けなくなり、人にも会えず、連絡もできなくなってしまいました。

重しが乗っているかのように体が重く、部屋に閉じこもる毎日で、軽躁状態の時に進めていた企画も、放り投げるように手放してしまいました。

たくさんの人に迷惑をかけたのが申し訳なくて、さらに落ち込む悪循環におちいっていたんです。

それでもなんとか就職して、新卒でネットショップの運営を任されることになりました。いろいろ試してみると、売上が200%アップするなど、目に見えて結果が出るのにやりがいを感じたんです。

すると、またも夢中になって、深夜まで働き、休日もつねに仕事のことを考えるようになりました。


――NPO法人のイベントの準備をしていた時と同じ状態だったのですね。

松浦さん:まさにそうです。通常の状態だと、何か行動を起こす前に「自分のキャパシティーを超えないか、金銭面やスケジュールは大丈夫だろうか」などいろいろ考えると思います。

それが、軽躁状態の時は思い立ったら即行動していて…。結局、2年ほど務めた頃、衝動的に退職してしまいました。


――それは驚くような行動力です。どんな状況だったのでしょうか?

松浦さん:当時は会社員を続けながらも、頭の片隅ではどこかで起業の夢を諦められずにいたんです。そんな時、たまたま同世代で起業している人と知り合い、話を聞いてみると、その人のビジネスの師匠が起業塾を開いていて、25歳までの人を受け入れているとのことでした。

そのとき私は24歳、あと7か月で25歳になるところでした。そして「起業塾に入るなら今しかない」と、いきなり会社を辞めました。名古屋に住んでいたのですが、起業塾は関東だったので、住む場所をどうするか考える間もなく、すぐ上京しました。

起業塾で取り組んだのは、当時流行していた、『Second Life(セカンドライフ)』というバーチャルゲームに関する企画。

僕はセミナーを開催するなど、思いつく企画をどんどん形にしていきました。すると、『セカンドライフ』の専門家として、本を出版することになったんです。

とんとん拍子でうまくいき、誇らしい気持ちでしたが……執筆中にまたガクッと落ち込んでしまいました。


――順調だったのに…なぜ?

松浦さん:順調すぎたからかもしれません。「すぐにゲームのブームが去り、時代に取り残されてしまうかもしれない」と思うと、怖くて何もできなくなってしまって…文章もまったく書けなくなりました。それでも師匠からの励ましもあって、なんとか本にすることはできましたが、限界を感じてすべてを手放して実家に戻りました。

その後も、再就職、休職、退職、そしてまた再就職…と、同じサイクルの繰り返し。ジェットコースターのようにめまぐるしかったです。

当時は双極症のことを知らなかったし、自分のことを病気とさえ考えていませんでした。だから精神疾患について調べようとせず、通院もしていなかったです。

でも、2年以上同じ会社に勤めたこともなかったし、自分は社会不適合者ではないかとは感じてはいました。

「打ち上げ花火」のような働き方を見直し「線香花火」のような働き方へ

現在ではさまざまなセミナーで講演活動をするようになった松浦さん
現在ではさまざまなセミナーで講演活動をするようになった松浦さん

――自覚がなかったにも関わらず、診断につながるまでにはどんな経緯があったのでしょうか。

松浦さん:ある会社で働いていた時、うつで休職することになりました。すると、人事部の方が「それはおかしい」と気にしてくれたんです。

その方は、社労士資格・産業カウンセラー資格を持っていて、メンタルの専門知識があったので、その時に初めて「双極症ではないか」と指摘されました。

それまでの私はとてもパワフルで、「イベントを開催する」などと決めたら、周囲の都合も考えずに突っ走っていたんですね。

そんなにアクティブだった私がうつにったことに、ギャップがありすぎると感じたからだそうです。


――双極症と指摘され、当時はどんなふうに思いましたか?

松浦さん:自宅に帰って調べたら、「これはまさに自分のことだ」と納得しました。どうしてこんなに浮き沈みが激しいのだろうと自分のなかで腑に落ちないことが、ようやく説明された気持ちでした。

その後、病院に行って正式に診断がついたのですが、これまでずっとわからなかったものの正体がようやくわかったという思いでした。自分は社会不適合者ではなく、病気だったのかと納得できました。


――働き方なども変化したのでしょうか?

松浦さん:すぐに変えるのは難しくて、けっきょく当時仕事をしていた会社も退職してしまいました。適切な治療を受け、投薬を始めても、私自身の考え方や生活リズムが変わらないと、これまでと同じように調子を崩してしまいがちでした。

でもその後、就労支援サービスを受け、自分の状態や、どんな時に調子を崩すのかを自覚できるようになりました。

ちょっと軽躁状態になりそうになりそうだなと感じたら、自分でペースを落として調整しています。現在は、就労支援を受けた会社の正社員として15年働いています。これまで一度も休職もしていません。


――これまで調子を崩しがちだった松浦さんにとって、非常に大きな変化だと思います。

松浦さん:働き方に関する考え方が変わったのが大きかったです。以前は、派手な仕事を手がけ、全力疾走するのが正しい働き方だと考えていました。でも、現在は無理せず、安定した働き方をするように心がけています。

たとえるなら、打ち上げ花火をバンバン打ち上げるような太く短い働き方から、線香花火のようにじっくりと細く長く火を灯す形に変化したといえるでしょう。

以前の私だったら、今のような地道な働き方はつまらないと考えたかもしれません。でも無理をせず、長く続けることにはメリットがあるのだと気づきました。


――どんなメリットでしょうか?

松浦さん:職場の人としっかりとした信頼関係を築けるので、任せてもらえる仕事や担当領域が増えました。「この人だったら大丈夫」と思ってもらえるのでしょう。

「継続は力なり」という言葉がありますが、小さくてもコツコツと続けていたら、じっくりと大きなものを育てることができるのです。いつもフルパワーで働こうとしていた時にはわからなかったことです。

現在は、双極症当事者として、双極症と向き合いながら働き方を模索する人のためにWebメディアを運営したり、双極症に特化した就労支援施設を開設したりするなどの活動をしたりしています。

私自身が当事者だからこそ、同じ思いをしている人と一緒に、どうしたら自分らしく生きていけるのかを考えられるのではないかと思います。

お伝えしてきたように、これまで私はいろんな失敗もしてきました。でも、こうした経験が誰かの役に立つのなら、遠回りしてきたことも意味があったのだと思います。

積極的に発信し、同じ悩みを抱える人たちが、自分らしい働き方を見つけられる居場所を作り続けていくのが、私の目標です。


<そのほかのインタビュー記事を読む>
双極症とともにどう働く?「睡眠6時間を切ったら要注意」当事者が作った自分の“取扱説明書”


【プロフィール】松浦秀俊(まつうら ひでとし) さん
精神保健福祉士、公認心理師。1982年生まれ。島根県出身。前職の株式会社LITALICOでWebマーケティングと広報を担当。双極症(双極性障害・躁うつ病)Ⅱ型の症状で退職後、前職の上司が立ち上げたリヴァの社会復帰支援サービスを利用し、支援職について現在にいたる。2021年に双極症で働くヒントがみつかるWebメディア「双極はたらくラボ」を立ち上げ、2023年、双極事業部の部長に就任。2024年、「躁うつの波と付き合いながら働く方法(秀和システム)」を出版。2025年、双極症の方向けに特化した就労支援施設「双極はたらくチャレンジ東京」を日本橋に開設。

■松浦秀俊さんX
■双極はたらくラボ
■双極はたらく+くらしラボ(YouTube)



【医療監修】

神谷町カリスメンタルクリニック
松澤 美愛院長

慶應義塾大学病院初期臨床研修後、同大学病院 精神・神経科に入局。精神科専門病院での外来・入院診療に加え、救急・総合病院でのリエゾン診療、障害者支援施設や企業でのメンタルヘルス対応など、幅広い医療現場を経験。個人と社会の変化に応じた「こころのケア」を実践。2024年東京都港区虎ノ門に「神谷町カリスメンタルクリニック」を開院。精神疾患を抱える方が“自分らしさ”を取り戻すきっかけとなるよう、患者一人ひとりの背景に寄り添った診療を心掛けている。

取材・文:さいだ多恵
写真:松浦秀俊

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