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20歳で筋ジストロフィーと診断「いずれは寝たきり」と絶望した女性の人生を激変させた「出会い」と「別れ」

公開日: 2026年05月28日
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はつらつとした笑顔で、積極的にシンガーソングライターや講演家としての活動を行う小澤綾子さん(43)。20歳で難病・進行性難病筋ジストロフィーと診断されました。この病気は遺伝子の変異により全身の筋肉が壊死・再生を繰り返し、徐々に筋力低下と萎縮が進行する遺伝性疾患です。「10年後は車いす。いずれは寝たきり」と宣告され、一時は絶望して家に閉じこもる時期もあったそう。小澤さんが前向きに「今この瞬間を全力で生きる」と決意するまでの思いを聞きました。

成長期なのに走るのが遅くなっていく

成長期なのに走るのが遅くなっていく
小学4年生から少しずつ走るのが遅くなっていった

――小澤さんに筋ジストロフィーの症状が出始めたのは、いつ頃のことでしたか?

小澤さん:何かがおかしいなと思い始めたのは、小学4年生頃です。目に見えて、走るのが遅くなっていきました。頭では「走れ!」と命じているのに、体が言うことを聞いてくれない感覚で…。「もしかしたら重い病気かもしれない」と不安でした

でも、そう感じていることを周囲には悟られたくなくて。全然気にしていないふりをしていたんです。すると、サボっていると思われたり、からかわれたりすることもありました。

 

――病院には行かなかったのでしょうか?

小澤さん:両親には心配をかけたくなくて、なかなか言い出せませんでした。初めて受診したのは中学3年生の時です。高校の推薦入試を受ける際、先生から「体育の成績だけ良くないから、一度調べてみては」と言われたのがきっかけでした。

でも、検査をしても「足が遅いのは、個人差の範囲内です」と言われて…。親は「病気ではなくて良かった」と安心したようですが、私は納得できず、泣いてしまいましたどうしてわかってもらえないんだろう…という気持ちでいっぱいでした。

難病とわかった瞬間は、ほっとした

難病とわかった瞬間は、ほっとした
病気がわかった頃、成人式を迎えた

――筋ジストロフィーと診断されたのはいつですか?

小澤さん:20歳の時です。それまで何度も病院に行ってみたものの、原因がわからない状態が続いて…大学病院の整形外科で「神経の病気かもしれない」と神経外科を紹介されたんです。そこでようやく筋ジストロフィーと診断されました。その瞬間は、ほっとした気持ちでいっぱいでした「足が遅いのは私のせいではなくて、病気だったからなんだ」と思ったんです。

でも自分の未来が閉ざされたようで、次第に絶望的になっていきました。同級生たちは夢と希望にあふれてキラキラしています。でも10年後の私は、車いす生活かもしれない。当時、私の周囲に車いすに乗っている人もいなくて、どんな生活を送っているのか想像ができませんでした。「きっと何もできなくなっているんだ…」と、家に閉じこもり、ふさぎこむ毎日でした。

大切な出会いから「今できることは今やる」と決意

大切な出会いから「今できることは今やる」と決意
2014年には会社の同僚と結婚

――とてもつらい時期だったと思います。前を向くきっかけはあったのでしょうか?

小澤さん:ある2人との出会いが大きな転機となりました。

1人目は、リハビリの先生です。診察のたびに、病気の話ではなく「これまでどんなチャレンジをしてきたの?」とか「これから何をしたいの?」と、聞かれるんです。

でも、その時の私は人生に絶望して、「どうせ頑張ってもムダ」と思っていました。先生の話も受け止められず、心を閉ざしていました。受診中もいつもうつむき、きちんと受け答えもしない私に、先生は「ずっと下を向いて生きていくつもりなんだね。将来、誰も近寄ってこないでしょうね。一人で寂しく死ぬんだね」と言い放ったんです

 

――病気を診断されたばかりの小澤さんにとって、衝撃的な言葉だったと思います。

小澤さん:本当ですよね。「なんてことを言うんだろう…」とショックでした。でも同時に「確かに先生が言うのも一理あるかもしれない」とも思ったんです。だから「絶対に先生を見返してやろう」と、いろんなことに挑戦することにしました。

当時は、いずれ海外にも行けなくなると思いこんでいたから、海外旅行に行ったんです。それを報告しても先生は手ごわくて…。「遊び目的じゃ意味がないよね?」と、言われるんです。もう、悔しくて!なんとか褒めてもらおうと、ダイビングのライセンスを取ってみたり、大学の活動でリーダーを務めたりしました。

挑戦を重ねていくうちにいろんなことを、前向きにとらえられるようになりました。そして、取り組んでみたいことも、次々と頭に思い浮かんだんです。先生はものすごいスパルタでしたが、真剣に向き合ってくれました。受診時間は20分の予定のところ、毎回1時間以上話をしていたと思います。今でも何かあったら、まっさきに相談に行くほど信頼している先生です。

東京2020パラリンピック閉会式にドラマーとして参加
東京2020パラリンピック閉会式にドラマーとして参加

もう1人大きな影響をもたらしてくれたのが、松尾栄次さんです。松尾さんは、私と同じ筋ジストロフィー患者で、30年間寝たきりの生活を送っていました。松尾さんは、私が歌が好きだと知ると「僕はずっと作詞作曲をしている。自分の作った歌を歌い、CDを作ってほしい」と言ってくれたんです。私は「準備も必要だし、1~2年後くらいにできたらいいな」と考えていました。

でも、その話をした2か月後に松尾さんは亡くなってしまって。まさかそんなに早くお別れすると思っていませんでした。その時に、命には限りがあるんだとも痛感したんです。私は松尾さんと同じ病気だから、いつどうなるかわかりません。だから「やりたいことは先延ばしにしない」と決めたんです

 

――現在は会社員のかたわら、シンガーソングライター、講演活動など、さまざまな活動をされています。

小澤さん:クラウドファンディングで資金を集め、松尾さんの遺作を含めたCDを制作しました。そのCDがご縁を結んでくれて、シンガーソングライターとしても活動を始めたんです。休日には自治体や全国のイベントでライブを開催しました。松尾さんの思いを、少しでも多くの人に届けることができたかな?と思います。

こうした経験から「今を全力で生きることが、充実した人生につながる」と考えるようになりました。先のことをいろいろ考えるだけだと、不安にとらわれて結局動けないままになってしまいます。でも、目の前のことに真剣に向き合うことで、次の道が開けていくんです。これからも「今、この瞬間」を大切に生きていきたいです
 

 
<そのほかのインタビュー記事を読む>
▶20歳で筋ジストロフィーと診断「いずれは寝たきり」と絶望した女性の人生を激変させた「出会い」と「別れ」

▶治療法のない筋ジストロフィーとともに生きる女性が一度はあきらめた「結婚」と「出産」を経て「家庭」を築いて気づいたこと


【プロフィール】小澤綾子(おざわ あやこ)さん
1982年生まれ。20歳の時進行性難病の筋ジストロフィーと診断される。「今この時を生きる」ことをモットーに、企業、イベント、学校、などでシンガーソングライターとして講演やライブを行う。TVや新聞などメディアにも出演し、障害や病気の啓発活動を行っている。

・小澤綾子さんのホームページ

・小澤綾子さんのインスタグラム

・小澤綾子さんのX

 

取材・文:さいだ多恵
写真:小澤綾子

※記事の内容は記載当時の情報であり、現在と異なる場合があります。